東奥武沖遺跡 登録記念物(遺跡関係)へ 文化審議会が答申

公開日 2025年12月20日

更新日 2025年12月20日

令和7(2025)年12月19日、国の文化審議会は、久米島のオーハ島近海に所在する「東奥武沖遺跡」を登録記念物(遺跡関係)に登録するよう文部科学大臣に答申しました。

本遺跡は、過去に「東奥武海底遺跡」「東奥武島海底遺跡」「オーハ島海底遺跡」「オーハ島沖海底遺跡」とも呼称されていますが、同一の遺跡です。

登録記念物(遺跡関係)として登録された国内初の水中遺跡になります。現在、沖縄県内では2件の登録記念物(遺跡関係)が登録されており、県内では本遺跡が3件目の登録となる予定です。

東奥武沖遺跡の概要

登録の名称

東奥武沖遺跡  〔あがりおうおきいせき〕

所在地

沖縄県島尻郡久米島町字奥武350番1 地先

登録の面積

652,233.88平方メートル

登録の特徴及び評価

東奥武沖遺跡は久米島の東部にある東奥武(オーハ島)の東側から南側にかけての水深2m未満の海域に所在し、14世紀末~15世紀初頭の中国産青磁や白磁の碗・皿・盤などの食器類、中国産や東南アジア産の壺や甕などの貯蔵具が多数散布している。同種の陶磁器は沿岸を経由して島内に搬入され、尾根上に築かれた宇江城城跡などの陸域の遺跡においても大量に出土しており海域と陸域の傾向が一致しているのが特徴である。当該期は琉球の明に対する朝貢貿易の回数・隻数がピークに達する時期であることから明への朝貢貿易の最盛期を考古学的に裏付けるものであると考えられている。                                                        

これら陶磁器は、東奥武(オーハ島)の南東方向に伸びる浅瀬を起点として北側と西側の海域に分布しており、この浅瀬において船舶が座礁・沈没し、積荷の陶磁器がその後の潮流の影響で広がっていった可能性が考えられ、水中遺跡における遺跡の形成過程を考える上でも重要である。                                                                                                                  

このように、東奥武沖遺跡は14世紀末から15世紀初頭における琉球の明への朝貢貿易の一端を裏付ける資料が海域に良好に残されているとともに、水中における遺跡の形成過程を考える上で重要である。

(出典)文化庁作成資料

 

登録記念物とは

登録記念物は、「遺跡関係」「名勝地関係」「動物、植物及び地質鉱物関係」の文化財を対象としています。これは、既存の指定制度を補完するものであり、届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度です。

これらは文化財として一定の価値は認められるものの評価が定着しておらず、直ちに既存の指定制度による指定を行うことは困難です。しかし、放置しておくと消滅等の可能性が高いものを、本制度によって保護を図るものです。

登録文化財は、国と地方公共団体による指定を受けていない文化財から登録されます。

注意事項

本遺跡の破壊に繋がる無断現状変更や遺物の持ち出しは、文化財保護法および遺失物法違反にあたり、固く禁止されています。遺跡の保護にご協力下さい。

お問い合わせ

久米島博物館
住所:〒901-3121 沖縄県島尻郡久米島町字嘉手苅542番地
TEL:098-896-7181
FAX:098-896-7182